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ミャンマーの寿司屋(ミャンマー鉄オタ放浪記)

2017年8月28日

 

私は、ヤンゴン国際空港の入国者出口の長椅子にミャンマー人タクシードライバーに挟まれて、半軟禁状態となって座っていた。私がトイレに行くと入口で待っているし、やたら話しかけてくる。ああ海外に来たんだなと感じさせてくれる風景は、どんな絶景や英語や現地語、ご飯でもなくこの風景こそが第一位だと思う。

 

両隣のドライバーたちは、スマホでロヒンギャ族のニュースを見ていた。

「お前はここにいくのか」

「報道関係か?」

と聞いてくるが、すぐに

「お前の友達はいつになったら来るのだ」

と聞いてくる。私が知りたい。秋田鉄の乗るクソせま格安航空は遅延していたのだ。Flightradar24で1Hはかかりそうと分かったので暇つぶしをすることにした。粘着質なタクシードライバーを引き連れて辺りのタクシードライバーに声をかけて安い値段で行くタクシーを探した。これが面白く、タクシー運転手の競り会場となっている。一回やってみたかったんだよね、魚市場とかの競りのまとめ役。(おそらく、シマという概念があることが分かった。UberやGrabといった配車アプリが普及し始めた昨今ではどうなっているかわからないが・・・)

 

そうこうしていると、格安航空の餌食となり疲労感のある男二人が出国検査が終わり出口から出てきた。競りで格安価格を提示した格安運転手と共にドミトリーへ向かった。陽気な運転手と身内でいるときはテンションの高いオタクを載せた車は夜遅いミャンマーの街を駆け抜けた。まさか運転手は私たちがデンチャを撮るのが好きな男たちには思うまい。ドミトリーに着くと、荷ほどきをして夕飯を食べに行くことにした。市街地であること、車から見る限り治安も良さそうなので適当に歩いて露天に入ったが営業終了近いとのことで追い出されてしまった。辺りを見てもあまり営業している店は少なく、唯一、一件だけ営業している店を見つけた。その店名は

 

「Sushi palace」

 

ミャンマー初日の飯は寿司屋となった。高校時代、「スイーツパラダイス」のことを「スイパラ」と略していたが、この店はスイパラの寿司ver.である、「寿司パラ」である。お茶らしきものも出てきたが正体は不明。メニューを見ると生魚の寿司もあったが怖いので遠慮して炒飯(ナシゴレン)を注文した。味は記憶に残っていない。食べきれなくて太陽の自称・野球部に食べてもらった記憶はある。野球部の食べっぷりはすごいものだ。Google mapで調べても出てこないし、食べログにも載っていない。そのため寿司パラをご紹介したいのだが、リンクを貼り付けられないのが悔しい。何か情報あれば教えてほしい。口コミを投稿したい。(壁の海賊船の置物が謎でした。)この日は、ドミトリーに戻り、次の日の打ち合わせをしたが、お疲れ二人組がソファーで寝落ちしたので、終了となった。

 

2017年8月29日

朝7時頃に起床した私たちは、シャワーを浴び雨模様のヤンゴン市街地を歩きヤンゴン中央駅を目指いした。途中歩道橋から列車を撮る。

DF1200型である。インド感がすごい。(以下余談:最近はデンチャの形を見れば国内外問わすどの地域を走っている列車か分かるようになってきてしまった。つまり重症である。ドラマ等で列車が一瞬でも映るとロケ地は予想がつくし、そればっかり考えてしまうので私生活に支障をきたしている。よくない。)久々に見る機関車×客車に我々は大興奮。かっこいいしか言わない三人衆にランクダウンした。

ヤンゴン駅構内に降り立った先に見えたのは、キハ11!JR東海の気動車である。一同大興奮。ひたちなか海浜鉄道だ!と叫ぶ輩に現地民は冷たい視線を送る。

 

少女からペットボトル水を買う。オタクはよく汗をかくのだ。顔に塗っているのは日焼け止めや美容で塗る伝統の「タナカ」である。ああ、こうゆう民族独特の衣装や恰好、大好き侍である。背景にキハ11がいるが分かるまい。あんなのが映ってしまえば、ここが松阪駅に見えかねない。

 

そのほかにも、先ほどのDF機関車が構内入れ替えをしている。インド×日本の列車が行きかう異空間がここミャンマーなのである。

構内の切符売り場で環状線の切符を買った我々は、たまたまやって来たヤンゴン環状線の運用に就く、日本のキハ40に飛び乗った。環状線を築けなかった名古屋の列車が、ミャンマーで環状線を走る。なんとも感慨深い。(鉄オタ脳)(勝手に感動する悪い癖)

 

前置きが長くなってしまったが、次回よりミャンマー鉄オタ乗車記スタートである。

 

秋田市→寿司パラ→ヤンゴン中央駅→キハ40

 

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