ダム工事真っ盛りの百宅地区を抜けると、袖川第三トンネルが目の前に現れた。
貫通している。しかも状態も非常に良い。立派な銘板も石造りの囲いも何もない、素掘りの歴史ある姿だ。
現在いるのは袖川第三トンネル。かつては直根から百宅を通り鳥海山地の奥地まで森林鉄道が伸びていた。その森林鉄道建設に当たり、袖川第一、第二は新しく掘削されたが、この第三トンネルはそれ以前より存在していた。たしかに、この後ご紹介させていただく第一、第二トンネルはコンクリート造りなのに対して、こちらは素掘りのまま。ましてやコンクリートの吹付けさえ施されていない。
距離は10m程度である。
内部の写真である。百宅から袖川間のこのトンネルが先に存在していたということは、袖川集落は、直根よりかは百宅との関わりが大きかったのだろうか。確かに、地図を見てみると袖川から直根を抜けるには山を越えるか、子吉川沿いを下っていくルートがある。前者はトンネルは、森林鉄道開通後にできたため現実的ではない、かといって後者も大きく迂回する必要がある&かなりの高低差があるためこちらも現実的とは言えない。やはり、袖川の親集落?は百宅であり、この道が唯一の生活路だったのだろうか。
反対側から。かなりの土被りである。すぐ右には子吉川があり、ここはどうやってもトンネルしか選択肢はなさそうだ。
トンネルを後にし、引き続き森林鉄道跡を行く。
子吉川がすぐそこに迫る。
いくつかの枕木が確認できた。肝心のレールは一向に見つからない。
路盤を確認できる。森林浴が気持ちい。
こんなところを鉄道が走っていたと思うと心躍る風景だ。
路盤は巨石を避けるようにして、大きく回り込む。
切通しだ!!!!!!
袖川方から。これは、、、エモい。
左側の巨石には、小さな祠があった。きっとこの巨石がご神体なのであろう。我々は素晴らしい景色へのお礼と、旅の安全を祈らせていただいた。きっと森林鉄道敷設以前のこの地に人がやって来た時から目印として使われていたに違いない。今では袖川へ向かうルートといえば、直根方からのアクセスが主流となり、この道の存在さえ忘れさられている。さらに、百宅地区がダムに沈むことになり、さらにその流れは加速するだろう。ましてやこの景色がダム完成後に残る保証はどこにもない。
振り返ると、路盤に射す木漏れ日が枕木のように見えた。
右手はずっと岩盤がむき出しの地形である。青森県の奥入瀬渓谷のような場所である。きっと、火山活動による隆起や子吉川の浸食が関係しているのだろうが、無学の私には見て感じることしかできなかった。
左手には湿地帯が広がる、路盤は山裾を縫うように一段盛られており比較的歩きやすい。
木漏れ日が綺麗だ。だが、熊多発地帯である。全神経集中して歩く。
袖川発電所前の巨石にはお札があった。傍にはいくつか割れたお札があったので、誰かが定期的にお供えしているのだろう。
袖川発電所まで伸びる吊り橋が左手に見えると、砂利道に合流する。ついに袖川集落の端に着いたのだ。時間にして3時間程度。ゆっくり探索しながら歩いたので、道が整備されていたであろう昔では2時間程度だったのだろう。
次回、廃村袖川集落
百宅→袖川第三トンネル→袖川(続)